人は、自分の意思で、行動している。
喉が渇けば、飲み物を飲み、お腹が空けば、食べ物を食べる。
どこか痛ければ、薬を付けたり、飲んだりする。
誰かと会話したければ、会話する。
本当に自由に自分の意思で、行動している様であるが、本当にそうであろうか。
喉が渇けば飲むは、自我や自意識が欲している訳ではなく、体(肉体)が欲して飲むのである。喉の渇きを精神(自我・自意識)へ伝達して命令しているのである。肉体からの精神攻撃で、「飲まないと辛いよ!」ってな具合に。
空腹も同じである。会話やTVを見るや読書するは、肉体である脳が疲れて、「癒されたい」や「リラックスしたい」と精神へ命令してリラックスできる事をしているのかもしれない。
現在人類は、肉体と精神(自我・自意識)は一心同体であるが、将来に、精神の機械的な容れモノが出来れば、肉体に支配されない、自由な精神(自我・自意識)を手に入れる事がかのうであろう。これこそ新しい精神の自由であるのかもしれない。しかし、真の自由は、容れモノを必要としない『精神のみ』で存在できる技術を確立したときに得れるのであろう。
今は、一心同体のこの体に精神が宿っており、協調する事が大切なのかもしれない。